※注意※
この記事は、私自身が学んできたことや実際に感じたことを、自分なりの言葉でまとめたものです。
公式な解説ではありませんし、私の解釈が含まれています。
中には理解不足や間違いがあるかもしれません。
「一人の学会員はこんなふうに考えているんだな」くらいの気持ちで読んでいただけたら嬉しいです。
もっと正確なことを知りたいと思った方は、ぜひご自身でも勉強してみてください(笑)
私は学者でもなければ、宗教を専門的に学んだ人でもありません。
なので、「一人の普通の学会員が、こんなふうに理解してるんやな」くらいで読んでもらえたら嬉しいです(笑)
私なりの理解では、創価学会の教えのもとになっているのは、日蓮大聖人という鎌倉時代の僧侶の教えです。
もちろん、歴史や宗教の専門家ではないので細かい部分は違うところもあるかもしれません。
でも、私が学んできた中で印象に残っているのは、日蓮大聖人も最初から特別な人だったわけではないということです。
当時は飢饉や災害、争いなどで多くの人が苦しんでいました。
そんな世の中を見て、
「どうして人はこんなにも苦しまないといけないんだろう。」
「苦しんでいる人を救う方法はないんだろうか。」
そんな疑問を持ち、その答えを人生をかけて探し続けた人だと私は理解しています。
だから私にとっては、「偉い人の教え」というよりも、「人の苦しみと本気で向き合おうとした一人の人の考え方」が始まりなんだと感じています。
まず、私はここですごいなと思ったんですよね。
普通なら、
「世の中そんなもんやろ。」
で終わるじゃないですか。
自分が苦しいときって、人や周りのことなんて考える余裕ないと思うんです。
むしろ今の時代って、「自分のことで精一杯」「人のことなんて知るか」みたいな空気もあると思うんですよ。
そんな中で、
「どうしたら人を救えるんやろう。」
と人生をかけて考えた。
しかも、自分一人が幸せになればいいじゃなく、人の苦しみを減らしたいと願った。
普通に、「そんな心の綺麗な人おるんかよ。」って思いました(笑)
だから興味が湧いたんです。
教えを信じるかどうかはその後の話で、まずは「どんな人なんやろう」と知りたくなった。
「人の苦しみをどうにかしたい」と本気で考えた人がいたこと自体は、私は純粋にすごいことやと思っています。
口だけなら、理想論なんていくらでも言えると思うんです。
でも、歴史に名前が残るということは、少なくとも日蓮大聖人の考えや行動に救われた人がたくさんいたということなんやろうな、と私は思いました。
「なるほどな。」
そう思ったのと同時に、今度は新しい疑問が生まれました。
「じゃあ、何でこの考えをもとにした宗教は、こんなにも批判されたり誹謗中傷されたりするんやろう?」
そこが、私が創価学会について自分なりに調べたり学んだりしようと思った、本当の始まりでした。


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