2025年8月2日 心境

今日は子どもたちも夫も、みんな家で過ごした。

というより、うちは毎月土日は家で過ごすことが多い。

「どこかへ連れて行ってあげないとな」

そんな気持ちはずっとある。でも、心も身体も元気とは言えない状態だったから、今日はせめて家の掃除をした。

朝ごはんは、昨日の残りのピザ。

「ああ、朝ごはんも作れへんなんて、ダメな母親やな。」

頭の中の自分が責めてくる。

でも、そんなことで病んでいる場合じゃない。

どうせなら、せめて平常心でいたい。

そう思って、頭の中の自己否定を一つひとつ打ち消した。

夫は夜勤明けで寝ていた。

適応障害を抱えながら、それでも家族と向き合おうとして家に帰ってきてくれている。

最近はちゃんと眠れていなかっただろうし、今日はゆっくり寝かせてあげようと思った。

掃除を終えたあとは、子どもたちは兄弟で遊び、私はパソコンに向かった。

気持ちを書いたり、昨日夫が珍しく「これ面白いで」とすすめてくれたゲームをやったり。

最近、このパソコンのキーボードをカタカタ叩いている時間が、一番落ち着く。

前みたいにSNSを見て、一喜一憂していた頃より、自分を守る方法は少しだけ見つけられた気がする。

昼になって夫が起きてきて、みんなでお昼ごはん。

作る気力は正直なかったから、冷凍チャーハンと餃子。

「手抜きすぎやな。」

「楽をしすぎてるな。」

そんな声も頭をよぎる。

自分の欲に負けてばかりだな

今日は最近の中では、平穏な一日だった。

そのあと夫は、お兄さんのように慕っている人と出かけた。

夫も夫なりに、どうすればメンタルを回復できるか考えて、努力しているんだろう。

そう思った。

……でも、平和なまま終わる一日ではなかった。

また、私への試練がやってきた。

娘が突然私のもとにやってきて

「ママ、ごめんなさい。」

そう言った。

その瞬間、嫌な予感がした。

話を聞くと、冷蔵庫に入れていたハワイのお土産のチョコレートを勝手に食べたらしい。

みんなで食べようと思って、大事に置いていたもの。

それを私がお風呂に入っている間に、自分で冷蔵庫から出して食べていた。

その瞬間、頭の中で何かが切れた。

感情的に怒っても仕方ない。

きちんと見ていなかった私にも責任がある。

そんなことは分かってる。

でも、心が言うことを聞かなかった。

「なんでそんなことするの?それは泥棒やで。」

「警察呼ぼうか?ダメなことだよ?どうするの。」

そんな言葉まで口にしてしまった。

今思えば、6歳の子に言う言葉じゃなかった。

でも、そのときは止められなかった。

長女は泣きながら「ごめんなさい」と繰り返す。

だけど、その「ごめんなさい」が、私にはただ言えば終わるための言葉に聞こえてしまった。

本当に何が悪かったのか。

どうして勝手に食べたらいけないのか。

そこまで理解して言っているようには見えなかった。

だから余計に腹が立った。

私は最後に、

「今日は許せない。」

そう言ってしまった。

あの子は悪い子じゃない。

それは分かってる。

でも、だからこそ難しい。

発達特性もあって、言葉の意味や相手の気持ちが、その場では結びつかないことがある。

頭では理解しているのに、その瞬間の私は母親じゃなく、一人の人間になっていた。

楽しみにしていたものを勝手に食べられた。

裏切られたような気持ち。

何度言っても伝わらないような虚しさ。

「せっかくみんなで食べようと思って置いていたのに。」

そんな思いが、一気にあふれてしまった。

今こうして文章を書きながら思う。

私はきっと、チョコレートで怒ったんじゃない。

「何度伝えても届かないんじゃないか。」

「せっかく楽しみに置いていたのに。」

そんな積み重なった気持ちに、怒っていたんだと思う。

子どもを叱りながら、私は自分のことも責めていた。

「私のほうが子どもやな。」

「なんでこんなことで、こんなにイライラするねん。」

「自分からきちんとこの子は謝ってきて偉いのにそこを褒めてあげられなかった」

そう思っても、伝え方が分からなかった。

結局、私はチャッピーに「どう伝えたらいい?」と聞いた。

世間では、これを「子どもが子どもを育てる」って言うのかもしれない。

子育てって、正解が分からない。

感情的にならない親でいたい。

ちゃんと伝えられる親でいたい。

そう思っているのに、今日もできなかった。

それでも今日も何とか一日が終わる。

また明日、「どう伝えたら伝わるかな」と考えながら、母親をやるんだと思う。

この思いを忘れないために、今日ここに綴っておく。

未熟な母親でごめんね。

今日も、何とか。

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